
こんにちは!おハムです
皆さんの担当利用者さんの中には、訪問することが億劫になる人はいませんか?
私は、口を開くと「死にたい」というAさんの訪問がなんとなく足が重たくなってしまいます
Aさんは、どのような気持ちで「死にたい」とおっしゃっているのでしょうか?
事例検討会の意見をもとにまとめてみました!
※個人情報保護のため内容は多少変更してあります
登場人物
78歳 男性 アパートで一人暮らし 要支援1
40年前に離婚した。現在は生活保護受給中であるが、以前は会社を経営していた
あまり自分の話を率先してされる方ではない
「若い時は仕事もよくやったけど、そのぶんよく遊んだよ。そんな浮かれた時代だったんだ。 もっと家庭を顧みればこんなこと(離婚・独居)にはなってなかったんだろうね」 と話す
半年前に脊柱管狭窄症のために入院した際に介護保険の利用をすすめられ申請
Aさん自身は、積極的にサービスを希望しているわけではなかったのですが、拒否的なわけでもない。週に2回のホームヘルパーによる家事支援を開始しました
週に2回、掃除と料理・洗濯を行なっています
担当して2ヶ月経過
物静かで、人当たりがいい方なんだけど、あのアパートに行く のはなんとなく気が重い。。。
口数こそ少ないが、口を開くと 「早く死にたい」 「生きている意味がない」「楽になりたい」と繰り返すされるから、なんとなくしんどい気持ちになります
(…ヘルパーさんも私と同じようにしんどく感じているようです)
主治医からは抗うつ剤等も処方されましたが、改善はみられませんでした
自殺未遂などの行動にでることはありませんが、生活への意欲は低く、朝から飲酒するだけで何も口にしない日もあるようです
近隣とかかわることもなく、気が向けば自宅の本棚にある本を何十回と繰り返し読んでいる
気晴らしにと、通所介護などに誘ってみても丁重に断られてしまいました
「死にたい」と繰り返す人への対応はどうするといいのか…
人間をやめたい
「そんなこと言わないで…」と決まり文句のように返していたのですが、 それが決してよい対応だとも思えません。。。
「死にたい」という言葉がみられなかったのは、 春先に体調が上向きになったときだけでした
「杖を使わずに歩けたんだよ」 とうれしそうに話されていたが、それも一時的でした
(電話にて)
Aさんは若い頃にもっていた仕事も名誉も家族も生きがいもすべてを喪失し、生きる意味をなく してしまっている感じがします
Aさんと向き合うときに、つい気が重く息苦しさを感じてしまうが、 もしかしたらそれはAさん自身の「しんどさ」なのではないかと思えてきてしまいます
「死にたい」の意味するのもはなにか?
…死にたい
「死にたい」 という発言をめぐっては、「自殺願望」と「希死念慮」に整理されることがあります。その性質上、 厳密な切り分けはできませんが、「自殺願望」 とは、 借金やいじ め等の苦痛がともなう困難への対応が万策尽き、死をもって回避するしか道がなくなったと本人が認識している場合をさすことが多いようです
一方、「希死念慮」とは、死んでしまいたいとなんとなく漠然と思っており、 その背景に、 本人がその理由を特定できなかったり、 本人が今の苦痛の理由を認めたくないことなどがあるとされます。 Aさんの場合は、後者の「希死念慮」に相当すると考えられます
《希死念慮の原因で考えられるもの》
1 )考えることの放棄
Aさんは、今の自分をどのように思っているんだろう?
・社長であった華やかな過去への郷愁
・家族への後悔
・脊柱管狭窄症による歩行の支障とそれにともなう痛みによる、介護が必要な状態を直視せざるを得ない状況
→「生きる意味」を見出せず、 「生きる意欲」を失いつつあるように感じます
介護保険サービスの内容にも関心を寄せてはいないようで、 きっと「もう どうでもいい」という心境で、「この先どうしよう」とか、「こうありたい」と考えること自体を放棄してしまったように見えます
近隣と関わらずに、飲酒のみで食事をしなかったり、同じ本を何度も繰り返す呼んでいるのはなんでなんだろう?
生きる意欲を失った今、 読み飽きた本の文字を追うことで思考を止めているのかな? 積極的に「生」を求めない状態とも説明できます
Aさんは具体的な 「死」を意識しているわけではありませんが、「死」に至る道程をぼんやりと意識はしているのでしょうか?
つまり、 「ゆるやかな自死行為」ともいうべき道程にあると考えられそうです
2 )生きることへの未練
早く死にたい
人間をやめたいだけです
本当に死にたいのかな?本当に死にたい人は、こんなに「死にたい」っていうのかな?止められちゃうかもしれないのに…
「死にたい」と周囲にいうことで、「生」への未練を強く訴えています
Aさん自身は 「生きたい」ことを明確に意識化するまでには至っていません
Aさんは、決して死にたいわけではないようです
今の状況下にあってAさん自身が、
・現状に向き合う勇気と覚悟がない
・苦難がともなうであろう 「生」と向き合うことを放棄しようとしている
Aさんが「生」と向き合うため事ができるようにするために、私に何が出来るのかなぁ?
Aさんにどのような働きかけが出来るのか???
1)「死にたい」という 言葉に反応しない
「死にたい」 という発言はとても刺激的であるために、支援者はそこに過敏に反応してしまう傾向があります。けれども、 「死にたい」という表面的な言葉上の意味に直接的に反応するのではなく、「死にたい」と発言しまで何を訴えたいのかに正確にアプローチすることが大切です
「そんなこと言わないでくださいよ」
「いつ頃から死にたいという気持ちが強くなりましたか?」
…といったような応じ方をするのではなく、過去への郷愁、家族への気持ち、脊柱管狭窄症による歩行の支障と痛み、 介護を受けざるをえない現実にともなう心情等に、適切にアプローチすることが求められます
まずは、ここが本格的な援助のスタートとなります。「希死念慮」 というより 「自殺願望」である場合、自殺企画やうつ等の症状が関与している場合には対応策は変わります!!!!
2) 孤独化への流れを止める
Aさんへの働きかけとしてまず重要となるのが、 周囲との関係を避けて自分の殻に閉じこもるという孤独化への流れを止めることです。
その流れを変えるのは、支援者がAさんと覚悟を決めて向き合い、 過去や家族への気持ち、歩行の支障と痛み、介護を受けざるをえない現実等にともなう痛みや揺れ、しんどさにきちんとアプローチすることです
この援助関係が軸となって、Aさん自らが変わるプロセスを支えることが可能となります
「 考えることを放棄し、思考停止状態に陥っている」Aさんに 「考える場と過程」を提供することになります
3 )生きる意味の変化
以上の取り組みをふまえて、やっとAさんのサポートを行います
直視するのも苦しく、 そこと向き合う勇気と覚悟ももてず、苦難がともなうことが容易に想定される舞台にAさんが上がるためには、その過程に支援者が地域の関係者を巻き込みながら専門的に支え続けることが求められます。つまり、開かれた関係が新しい変化を導くことになるのです
その過程における専門的アプローチとしては、
・たとえ介護が必要になってもAさんの人としての価値は何も変わらないこと
・たとえうまくいかないことがあっても支援者の支えがあることをAさんが認識できるように働きかける
・この先の新しい生活スタイルをAさん自身が描けるように働きかけること
要するにこの一連のアプローチは、Aさんの心身と環境の変化にともなって、Aさん自身が新たな生きる意味と 価値を見出す過程に支援者がつき合うことであると言えます
まとめ
いかがだったでしょうか?
「死にたい」 という表面的な言葉上の意味にとらわれることなく、Aさんの心身と環境の変化を背景に、 新たな生きる意味と価値を一緒に見出す取り組みが求められます
一種の逃避行動として殻に閉じこもろうとする。 その孤独と孤立がさらに事態を悪化させる。 そこへの打開策としては、支援者や周囲の関係者との関係が軸となって新たな変化を誘発するように働きかけることであるといえます
支援者が…というより、Aさんの変化を支援する姿勢が必要であると言えます
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